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2011年3月23日

長崎で2009年12月に起こったカンガルーケア中の事故で脳機能障害になった男児が2011年2月、1歳2カ月の命を閉じたという痛ましい記事です。

 長崎市の産婦人科医院で平成21年12月、「カンガルーケア」の最中に呼吸が止まり、脳機能障害になった男児が今年2月、1歳2カ月の命を閉じた。両親はいちるの望みを胸に懸命に看護を続けてきたが、ついに自発呼吸を取り戻すことはなかった。カンガルーケア中の事故は各地で報告されているが、国も医療界も本格的な対策には乗り出しておらず、両親は「二度と同じような事故が起きないよう医療関係者は真剣に再発防止に取り組んでほしい」と訴えている。

 男児は長崎市の男性会社員(45)と主婦(46)が授かった初めての子だった。予定日より1日早い21年12月9日夜、3156グラムで元気な泣き声をあげながら生まれた。

 幸福感にひたる母親の傍らで院長は「いいお産でした。何の問題もない」と話し、分娩(ぶんべん)室の外で待つ父親は、産声をあげる元気な男児の姿をカメラに収めた。この産声が、男児から聞く最後の声になろうとは、思いもしなかった。

 立ち会った助産師は男児の身長や体重の計測を終えると、分娩台に横たわる母親に「体に密着させて」と抱かせた。カンガルーケアの始まりだったが、事前にもその場でも説明はなく、男児の爪はだんだんと紫色になり、手足も動かさなくなっていった。

 母親が助産師に問いかけると「赤ちゃんはずっと動いているわけじゃない」「大丈夫」と繰り返し、いつの間にか姿も見えなくなった。次第に男児の手は白くなり、異常を確信した母親の叫び声で助産師が駆けつけたとき、男児の呼吸は止まっていた。

 男児は市内の病院に救急搬送されたが、重篤な脳機能障害が残り、そのままNICU(新生児集中治療室)に入院。主治医の説明から完全な回復が難しいことは察せたが、母親は「何とか生きてほしい」と毎日、母乳を自分で搾り、男児の鼻につながれた管を通して与え続けた。

 父親も会社が休みの週末には必ず、男児の体をさすり、意識が戻ることを祈った。脳の成長は止まったままだったが、体は大きくなっていき、「一度でいいから外に連れて行ってあげたい」と思った。

 しかし、両親の願いもかなわぬまま、男児は今年2月15日、永眠した。

 「毎日病院に行って現実を見るのは辛かった。でも、息子は本当にかわいくて、いつも癒された。生まれてくれてよかった」。そう振り返る母親は「もっと短い命だったのかもしれないけど、きっとカンガルーケアの問題とか改善してほしいことを、少しでも訴えたかったのだと思う」と涙を拭った。

 カンガルーケア中の事故は、全国でも起きている。男児が生まれる3カ月前に開かれた日本母乳哺育学会の学術集会では、赤ちゃんがカンガルーケア中に心肺停止や呼吸停止などに陥った急変が全国で16例あり、そのうち2人が死亡、5人は脳機能障害など重篤な後遺症が出たことが報告されていた。

 ただ、こうした事故についての情報共有は一部の専門家の間にとどまり、全国の医療機関に正式に伝えられることはなかった。

 「各地の事故が早い段階に広く公表されていれば、息子の事故は避けることができたかもしれない」。そうした思いが、今も両親の胸にくすぶる。

 父親は「二度と同じ事故は起きてほしくない」と願い、「国や医師会がきちんと医療事故の症例を集め、改善策を講じるべきだ」と訴えている。

 両親はホームページで、事故の経緯や男児の生前のようすなどを報告している。

 カンガルーケア 母親が出産直後に一定時間、胸元で赤ちゃんを抱くこと。1978年に南米で保育器不足の対策として始まり、日本でも90年代後半から普及。母子関係の向上や母乳育児の促進に有効とされる。しかし、体温より低い分娩室でのケア中に、赤ちゃんが低体温状態や低血糖症に陥って死亡した事故例が報告されており、ケア中の安全面に配慮を求める意見や、ケアそのものを疑問視する見方もある。

カンガルーケア中の赤ちゃん逝く 両親「二度と同じ事故起こさないで」 msn産経ニュース

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